ボディ・スナッチャー/恐怖の街
Invasion Of The Body Snatchers
(1956)
\6050

何かを警告するかのような不穏なスコアをバックに、幾重にも重なった雲が高速で流れてゆく。なんとも禍々しいオープニングである。ジャック・フィニィの小説「盗まれた街」の最初の映画化となる本作は、ドン ・シーゲル監督の手腕により、上映時間80分の中に原作の魅力を見事に描ききった50年代侵略SFの代 表的作品。絶望的な結末へまっしぐらに向かうスリリングな展開は、半世紀以上経った今の感覚からしても一瞬たりとダレることのないスピード感。まさに無駄も隙もない傑作だ。

物語は救急病院で取り調べを受ける錯乱状態の開業医べネルの回想で幕を開ける。久しぶりに戻ったカリフォルニアの田舎町サンタマイラで彼が目の当たりにしたのは、身近な人間が別人になってしまったと訴える人々。見た目はそのままだし記憶や喋り方まで変わった所はないが、言うなれば感情がないというのだ。初めは集団ヒステリーの一種と考えていたべネルだったが、友人の家に横たわる指紋のない奇怪な人体を目の前にして異様な胸騒ぎを覚える。悪い予感はやはり的中した。眠りに落ちた人間の傍らに置かれた巨大な豆の莢のような物体(ポッド)が弾け、中から形成途中の人体が現ると姿かたちを複製。人知れず睡眠中のオリジナルと入れ替わることで密やかに地球侵略が進行していたのだ。ベネルと恋人のベッキーが事態を確信した時には、既にサンタマイラの住人の大部分が肉体を乗っ取られ感情を失い、奴らの一員となっていた。必死の逃亡を試みる二人は、ある時どこからか聞こえる歌声を耳にする。まだ歌うことの喜びを理解する存在、つまりは人間が存在することに希望を抱いたベネルは声の主を辿ってゆく。だがそれはビニールハウスの傍らに止められた車から流れるラジオ放送でしかなく、さらにそこでは大量のポッドが栽培され各地に向けて、今まさに出荷準備が進められているのだった。かすかな希望さえ断たれやつれ果てたベネルは、ベッキーに激しくキスをした。それは絶望的な孤独感の中で、あたかも愛情という人間性を確認するかのような激しい口づけだったのだが・・・。

親しいと思っていた隣人がある日突如、脅威へと変貌しうる恐ろしさ。本作が制作された50年代冷戦下の時代背景からも、そこには共産主義の浸透に対する米国市民の懸念が窺える。一方でそれは、密告や裏切りにより多くの映画人も犠牲となった赤狩りそのものであり、立場は異なれど不可避な不信と不安が描かれている。だが、今や肉体を乗っ取られ感情を失った町の住人が群れをなして二人を追いかけて来るシーンの恐ろしさを思い出して欲しい。本作が時代を超えていつまでも陳腐化しないのは、当時の社会情勢とは無関係な、集団に追いかけられ、追い詰められてゆくという動物的本能に訴える恐怖感、そして感情を失い人間ではなに何かになり果てることへの絶望感を巧みな演出で描いているからに他ならない。

画質向上、新規特典を追加したリイシュー決定版!

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