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リージョン1 ¥6050 |
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個人的に、2004年の輸入DVDにおける最大の事件は、秋の「ビデオドローム」クライテリオン盤の発売でした。2004年3月に、クライテリオン社のマーケティングマネージャーが来店した際に‘ちょうど「ビデオドローム」用の素材としてジェームズ・ウッズのインタビューを録ってきたところで、9月にリリース予定だよ'という言葉を聴いて仰天、絶叫(少々失禁)したもんです。
映画秘宝2005年4月号では、町山氏がこの80年代を代表するカルトムービーを完璧に検証。さらにスターログ誌24号では上岡雅史氏が、クライテリオン盤の特典をガッチリ解説。特に上岡氏の特典検証は、このクライテリオン盤購入検討の資料として大いに役に立つでしょう。そんな訳で、充実したテキストが最近の雑誌で読めますのでぜひご一読を。
ここでは私個人の「ビデオドローム」との出会いを書きなぐりたいと思います。単なる思い出話ですから、よほどお時間の余裕のある貴兄のみおつき合いを。
年齢的に「ゾンビ」を劇場公開で観るには一歩遅かった私は(近所の映画館に貼ってある「ゾンビ」のポスターやロビーカードにビビりまくっていたのを良く覚えています)、4つ上の兄が映画好きなのも影響して、テレビでは「サスペリア」や「オーメン」「エクソシスト」「マニトウ」「エイリアン」「悪魔の追跡」等々、好んで観ていたましたが、本格的ホラーを劇場で観たのは、その兄に連れられて観に行った「ハウリング」(「ニューヨーク1997」との2本立て!)が最初。基本的にはスタローンやジャッキーに夢中の中学生でした。そんな私がホラーの世界に魅了される決定的なきっかけとなったのは85年夏。この時点でスプラッター・ブームの急先鋒「死霊のはらわた」は公開済み。「死霊のはらわた」はかなり意識してはいたものの、結局劇場では観てません。では85年の夏になにがあったのか・・・それはあの「スペースバンパイア」の公開!というよりも、「スペースバンパイア」公開に合わせたホラー特番の放映でした(覚えてる方、いますよね?)。「スペースバンパイア」の舞台裏などを見せつつ、定番ホラー映画ハイライトの嵐!という番組構成で、「遊星からの物体X」「悪魔のいけにえ」「ファンハウス/惨劇の館」「バスケットケース」「ゾンビ」「死霊のはらわた」」etcホラー映画のマスターピースのしかも名場面を連続で目の当たりにすることとなり、録画したこの番組を、憑かれたように繰り返し観ていた中学3年の夏・・・。
さてこの番組の中で、猛烈に自分を唸らせた映画が2本。ひとつは「スキャナーズ」そしてもうひとつは「ビデオドローム」だったのです。偶然にいずれもクローネンバーグ監督作。それまで、俳優でしか映画を観ていなかった中学生に監督の存在を初めて意識させたのがデビッド・クローネンバーグでした。特に「ビデオドローム」におけるビデオテープやテレビが生き物のようにうごめく感覚に、世間知らずの中学生だった私は猛烈なショックを受けたのです。この頃より劇場に「フライトナイト」を観に行ったり、スクリーン別冊のTHE HORROR MOVIESを買い集めたりと、ホラー映画に徐々にそして着実にのめり込みはじめていました。そしていよいよどうしても「ビデオドローム」が観たいという欲望が強くなり、しかし新潟の片田舎に住んでいるため、レンタルビデオ屋などほとんど無く、同級生と連れ立って行ったビデオ屋は、店内の95%がエロビデオ、入り口の一角にホラーやアクションが申し訳程度に並んでいる有り様。レンタル料金¥2000は田舎の中学生にはかなり辛く、突き刺さる店主の視線にいよいよ気まずくなり、収穫の無いまま逃げるように帰った記憶があります。しょんぼり。あとで気がつきましたが我が家はβ。レンタルしても観れなかったんだ・・・。そして年は暮れ、明けて86年3月に中学卒業。高校入学のお祝いに、今は亡き祖母が好きなものを買ってあげると言ってくれた(ばあちゃんありがとう!)のを聞きつけた映画好きの兄に、いいようにマインドコントロールされた私は、レーザーディスクのプレーヤーを買ってもらうことになりました。展開が思う壺となってウッシッシの兄からは、上機嫌でキューブリックの「シャイニング」のLDをプレゼントされ、これが始めてGETしたLDソフトとなり、以降飽きもせず(というか1枚¥7800、2枚組み¥9800が基本のLDソフトをそんなにしょっちゅうも買えるはずも無く)繰り返し観まくったもんです。ところでLDの対抗馬であったVHDのプレーヤーをあやうく買いそうになっていたのも覚えています。あぶねぇ。まぁLDも思っていたよりは短命でしたが。そしてその3月、鎌倉の叔父のとこへ遊びに。目的はクローネンバーグ作品のLD購入!田舎のレコード屋ではLDの在庫は限られており、とても欲しいソフトが自由に買えるような状況ではなかったもんですから、上京の理由としてはこれで十分でしょう。今ではどこかは覚えていませんが、デパート内のレコード店のLDコーナーへ直行。そしてありました「ビデオドローム」!そして「スキャナーズ」も!!さんざっぱら迷った挙句、やはりそして遂に「ビデオドローム」購入!ありがとー!スクリーン別冊のTHE HORROR MOVIES最新号(たぶん第3号)や、「SFX映画の世界」とかいう文庫も買って、もう最高の春休みでしたな。ちなみに「スキャナーズ」のLDはその年の夏、我が家の近くのレコード屋に注文・取り寄せとなりましたが、創美企画から発売されていたそのブツは、届くまでに1ヶ月近くかかりました。その年の夏休みは「スキャナーズ」のLD到着を待ち焦がれているだけで過ぎ去りました。なんたる若さの無駄遣い!しかしそれを上回る、なんたる映画に対する愛着!
話が逸れました。「ビデオドローム」を無事GETし、新潟に帰った私は、すかさず初「ビデオドローム」。どんな状況で観たかは忘れましたが、観終わった後は、たしか狐につままれた様にきょとんとしたのを覚えています。まぁ、おそらく当時の私はSFXの斬新さに眼を奪われて「ビデオドローム」の虜になっていた訳で、しかもその見せ場の大部分は、例の特番で体験済み。不可解なストーリーはなまくらな頭には理解不能・・・とくれば狐につままれて当然。しかしさすが80年代カルトムービーの定番「ビデオドローム」。それが放つ怪しげな魔力は、やはり私を完全に虜にしたのです。決して劇中ポルノ「サムライドリーム」だけが目当てではありませんよ。
そんな経緯で映画監督デビッド・クローネンバーグに夢中になり、(実際、作品は2本しか観ていなかったのに)クローネンバーグこそ最高の監督だと言いふらしては気味悪がられ、「ザ・フライ」公開(カーペンターの「ゴーストハンターズ」と2本立て!)で初めて、クローネンバーグ作品をスクリーンで体験。一気に認知度も広がったクローネンバーグの作品が続々とソフト化されるという夢のような状況のなか、当時愛読していた「ロードショー」誌に「デッド・ゾーン」のビデオ発売の広告が載った時は、興奮のあまりLD化はいつなのかとビデオ会社に電話をかけるという、単なる迷惑なオタク高校生と化していました・・・すんません。
その後15年以上の時を経た今でも、クローネンバーグはたぶん一番のご贔屓監督。当然すべて劇場に足を運びましたよ「イグジステンズ」までは。特に予備校時代に観た「戦慄の絆」の衝撃は、いまだ生々しく記憶に残っています。入学した美大の授業ではいきなり「ステレオ」が上映され一人歓喜、クローネンバーグのレトロスペクティヴで「ビデオドローム」のスクリーン体験も果たし、クローネンバーグの装置展では、あのビデオドローム幻覚録画ヘルメットの実物とご対面。画面で見るより遥かに造りこまれたディティールに感動したもんです。
しかし時というものは恐ろしく、「スパイダー/少年は〜」でついに劇場へ行かなくなり、DVDを買って観るも全くピンとこなかった事実がなんとも寂しいですね。あの遠い日のクローネンバーグ映画への、というか映画への情熱と今現在とのあまりの隔たりにしょんぼり。そして2004年に発売されたクライテリオン盤「ビデオドローム」は、私にとって、青春時代をリアルに思い起こさせる幻覚装置なのでした。クローネンバーグ作品に夢中になって語りまくり、オリジナルビデオ「餓鬼魂」を買いそうになり(結局買わなかった)、「Vゾーン」や「ダンウィッチ」といったホラー専門誌を貪るように読み、「ブレードランナー」ファンのサークルに投稿し、北海道の主婦の方からルトガー・ハウアーの同人誌を買い(今でも持ってます・・・)、「時計じかけのオレンジ」の輸入ビデオ(該当シーン消去済み)を怪しげな通販でGETし、やがてミニシアター系映画にはまり少々本来の軌道からはずれてしまった時期もありましたが・・・。そんな過ぎ去りし日々よ、「ビデオドローム」とともに永遠なれ!(涌井)
追伸:カナダで放映された「ビデオドローム」の別バージョンを見ました。あのニッキーがTV電話でマックスと話しているスチールで有名なシークエンスもありますが、とりたてて印象が変わるほどのものではありませんでした。 |